一家の憂慮は半ばこ。

一緒になって十歳以上に罹る私の旦那は、新婚当初から、ありとあらゆる所帯を、率先して手伝って頂ける。 わたしが唯一得意な「洗濯」だけは、めっぽう役回りを噛ませてできるのですが、大の苦手な「調理」始め、食後の「食器洗い」、「クリーナーかけ」や「カーペットのコロコロかけ」まで!?、謳い文句一部分いわずに、こころよく引き受けて、きっちりと朴念仁に運転をしてくれます。 マイホームの父母の、所帯割り振りは、完全にママのみがおこなってあり、たま〜に食器を取り去るぐらいしか手伝わないおとうさんを、長期間観て来たので、なんでも手伝ってくれて、しかもわたしよりも頻度段に上手に所帯を片付けて得る旦那に、甘えるどころか、驚いている毎日なのですが・・・。 結婚してどうしてもの事がたち、がさつな私の所帯に、ジレンマ一部分云わずに、黙ってフォローし続けている旦那に、感激とおわびの気持ちを込めて、この頃は、苦手な「調理」に挑戦中。 大きな失策は無いのですが、とにかく、それほど上手にはでき無い私の「調理」を、「美味しいっ!!!」と、大仰に歓んで食べてもらえる旦那の為に、「調理」だけでなく、「ケア」や「洗濯」なども、二度と頑張ろう!とおもう近年だ。

「けりがつく」ってどうして一段落の意味なの?

何か物事が一段落することを「けりがつく」「けりをつける」と言いますが、どうしてこんな風に表現するのでしょうか?ここで使われている「けり」は過去の助動詞の「けり」です。日本の義務教育を受けた人であれば、古文の授業で必ず習ったことがあるでしょう。この「けり」ですが、百人一首では「けり」で終わる歌が9首、「けり」の連体形「ける」や已然形「けれ」まで加えると、15首にもわたります。このように和歌では「けり」で終わる歌が多く、「けり」が付くと和歌の終わり=一段落という認識が生まれ、いつからか「けりがつく」という言葉が一段落の意味で使われるようになったのです。こうして考えてみると、日本の昔の言葉は姿を変えてはいますが、現代の私たちの言葉の中に確実に息づいていることが分かります。そこには日本語の歴史、ひいては日本人の歴史が脈々と流れているのです。私たちも日本人の歴史を引き継いで日本語を使っているんだと思うと、何だか日本語が愛おしく感じられます。日本語、大事にしたいですね。